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甲子園は大正末年 甲子(きのえね)の年 武庫川の流路を付け替えて誕生しました。明治時代に生田川をつけかえて三宮が誕生したのと似ています。それぞれのメインストリート フラワーロードと甲子園筋はかつての生田川と武庫川です。 神戸では、これ以外に新開地が湊川の流路をつけかえて誕生しています。

甲子園は、それ以降、球場や遊園地がある駅南、浜側や駅北の住宅地にわかれて発展しました。

当時、日本最大の人口を誇った大阪への通勤が便利で、多くの企業が競って社員寮を建設。甲和・光楓の両館も銀行の社員寮としてスタートしています。

当館の所在地 甲子園浦風町は、西宮市の中で目神山(めがみやま)地区とならんで、最も厳しい建築規制が存在します。 建物は敷地にゆったりと建っていて緑も多い。駅から北へ伸びる道沿いには樹齢70年を越える街路樹が並びます。 

そのような木々の多い街区でありながら 梅田へは特急で十分ちょっとの距離にあります。阪神なんば線の開通でミナミへ行くのも便利になりました。

このあたりは旧武庫川の自然堤防がつくった微高地にあり住むにはよいところです

■物件所在地

〒663-8165

兵庫県西宮市甲子園浦風町16

「甲和」の名称は建築時の名前です。北側に新館ができたとき名称を光陽マンションに統一し2号棟として「2」で始まる部屋番号をつけました。北館は部屋番号は「1」で始まり、名前も最初から「光陽」なのですが名前を3文字にそろえるべくシンボルツリーのモミジを入れて光楓館にしました。本当は、もう少し洋風の名前にするのがいいのかもしれません。

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